桃栗三年柿八年

夫婦のこと書いています

夫婦喧嘩の初期消火

毎日暑い日が続きますね。

5月なのにすでに夏のような暑さです。

海が近い田舎町に住む私にとっては、一年で一番好きな季節がやって来たのですが、妻にとっては一番嫌な季節のようです。

 

確かに女性にとっては大敵な紫外線の雨と、流れ落ちる汗は不快かも知れませんね。

こういうところでも夫婦の差って出るものです。

 

さて、今朝それも一時間前の出来事です。

 

今日、妻は交通違反で早朝から免停の講習に行きました。

田舎に住んでいるため、朝8時からの講習に出るには朝5時に起きて電車で行かなければなりません。

妻は明日は朝早いから早く寝ると言いつつも、深夜1時までオンラインゲームをやっていました。

さすがに

 

「明日早いからいい加減にして寝ないと」

 

と、言ったらカチンと来たようです。

朝起きて妻を駅まで送るつもりだったのですが、妻は

 

「気分悪いから歩いていくから」

 

と、サッサと家を出て行きました。

おいおい、どう考えても駅まで歩いても最低1時間は掛かるし、インドア派の妻が歩いて駅ので行けるわけがありません。

それでも、妻は一度怒ると手が付けられない頑固者。

ここで下手な会話をすれば経験上妻がもっと荒れるのは必須。

絶対に間に合わないのはわかっているので30分ぐらい歩かせて迎えに行くことにしました。

 

30分後に大通りを追いかけたのですが妻の姿はなし。

どう考えても妻の足なら行ける範囲にいないのです。

これはさすがに焦りました。

息子に連絡すると、

 

「小学生の通学路を歩いていると思うよ」

 

と、言うので一本手前の細い道を探すと息子の言うとおり歩いていました。

クラクションを鳴らすと気がついて、すぐに助手席に滑り込んで来たのですが

 

「こんな場所に車停めたら危ないよ」

 

と、厳しい言葉。

でも、妻の表情は怒っているのではなく、迎えに来た安心感とうれしさが見えました。

妻は子供っぽいところもあるし、自分の意思を曲げないところもあるので、歩いていて出て行った時に無理に車に乗せようとすれば大喧嘩になるのは確実でした。

 

セックスレスになり冷静にお互いを見るようになった今は、妻のイライラをどう押さえたら良いのかが少しだけわかるようになりました。

少しだけ妻のやりたいようにさせて、冷静になったところで話をすることで大きな喧嘩に発展することはなくなりました。

 

予定の電車に乗れたようで一安心

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夫婦は些細なことがきっかけで喧嘩するけれど一番大事なのは仲直りの仕方。

その方法は夫婦個々に方法は違うでしょうから私の方法は実際当てにはなりません。

 

若い頃なら大喧嘩しても裸で抱き合えば仲直りも出来たのですが、この歳になればそういう形での解決はほぼありませんからね。

 

夫婦喧嘩の火消しを初期消火にしておくことが、今の私が大事にしているセックスレスへの回避だと思っています。

 

 

妻は家族ではない永遠の恋人

今日は久しぶりの休日。

外は空は蒼く夏のように暑いけれど、こういう日はドライブに出かけたくなるのが私。

でも、インドア派の妻は、まどを開けてのんびりと読書かネットサーフィン(すでに死語)するだろうな。

夫婦って意外に思っていることが一緒の方向に向くって少ないかも知れません。

 

過去のことは少しさておき、夫婦のことについて書いてみます。

 

結婚前後は昔の考え方かも知れませんが、妻は私の所有物という考えがありました。

婚姻届という紙切れ一枚で国が妻を私の所有物として認めてくれるみたいな感じ。

トント可笑しい考え方ですよね。

でも昭和40年代生まれなら、団塊の世代の親を持ち、戦後を生き抜いた親の姿を背中に見ていると、そういう考えをする同世代って多いと思っています。

逆に女性を中心とした社会に女性の権利を主張する傾向も強くなり、女性の社会進出や中ビ連のようなウーマンリブ団体が目立つようになります。

また、バブル前後に女性は三高(高学歴・高収入・高身長)を結婚相手に求めるようになり、男にとって結婚というハードルが妙に高くなった時代でもあります。

それだけに結婚出来れば相手を手放したくなくなる気持ちは、ある意味では所有物にしてしまうのかも知れません。

 

しかし、所詮は夫婦は他人です。

親、兄弟、自分の血や肉を分けた(男の場合は遺伝子の一部かも)子供とは全く違う家族なのです。

だから、同じ方向に向かなくても当たり前のことなんです。

それを、妻=家族=肉親にしてしまってはいけないのではないかと。

他人であれば夫も妻も平等であり、お互いに権利も主張もあるはず。

収入や社会的地位に差があっても、お互いに尊重していくことが一番大事なことではないのかと。

 

私の中では夫婦喧嘩が大きくなっていくたびに、妻とは離婚するしかないのではないかという思いが少なからずありました。

激しい恋愛をして親と縁を切ってまで一緒になった女性なのに、なんで妻は僕の所有物になってくれないのだろう・・・。

 

きっと、これが一番私の悪かった部分だと思っています。

もちろん他にも少なからず問題はありましたが一番の問題はこれでした。

 

なぜ、このことに気がついたのかと言うと

 

「私が死んでもあなたと一緒の墓には入りたくないからね」

 

と、いう言葉でした。

正直、ここまで言われると精神的に凹みましたね。

妻はきっと私を愛していないのかも。

 

いろんな意味で自分の終末を想像してみて、妻のいない人生を考えることは出来ませんでした。

それから本気で、もう一度妻に愛して貰いたい。

セックスをしたいという思いから、自分なりに茨の道に入る決意をしたのが5年前のことでした。

新婚生活

現在でも家の問題ってあるのでしょうか。

親の反対を押し切っての結婚。

結婚する相手は自分が決めると言い切って親と縁切り。

 

なんとか就職した大手自動車会社の社宅で始めた新婚生活。

甘い生活とはほど遠い、古い、狭い2Kの社宅は隙間風が入るような建物でした。

それでも愛する相手と過ごせるのですから、何もかもが幸せに感じたものです。

 

妻は小さな出版会社に勤めていました。

デザインをやりたくて面接に行った会社で採用されたのですが、パソコンのMacが使えたことで広告用DTPデザインの担当になりました。

私も交代勤務でお互いの休日もなかなか合いませんでしたが、一緒にいる時間は暇さえあれば抱き合ってセックスをしていました。

そうすることでお互いに愛を感じていたのかも知れません。

 

結婚から4年、結婚生活もマンネリ化した頃に私はリストラされました。

バブル崩壊の影響で工場が閉鎖。

早期退職という形で僅かな上乗せ金を貰い、中規模の半導体メーカーに転職。

転職後に妻の通勤に近い場所に郊外型マンションを購入しました。

携帯電話が普及始めた頃で業績も良く、安泰に思われましたがこの会社も10年後には退社することになります。

妻も順調に仕事には恵まれてポストも与えられていましたが、もっと自由に仕事がしたいと、会社や下請けの数人でデザイン会社を立ち上げました。

 

この頃ちょうど最初の子を妊娠。

私も妻も幸せの絶頂を迎えるのですが、人生というのは良いことばかりではありません。上り調子もいつまでも続くことはなく、出版不況という言葉が聞かれるようになると嫁の仕事は大変になっていきます。

 

そして二人目の妊娠。

ここから本格的にセックスレスへ突入していくことになります。

駆け落ち

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私と妻の出会いは今から30年前。

ずいぶんと昔になります。結婚は平成元年なので1989年です。

昭和64年が一瞬で平成元年に変わったのでなかなか忘れません。

NEWSでは天安門事件がありました。

ゲームボーイが発売され、自動車だとレガシィツーリングワゴンが発売された年。

バック・トゥ・ザ・フューチャーの二作目、魔女の宅急便が封切られました。

 

どんな世の中だったのかと言えばバブル景気の真っ只中でした。

世の中は泡の好景気に踊らされていた時代。

でも、結婚したばかりの私たち夫婦はどちらかと言えば貧しい側でした。

 

結婚と言えば両家に祝福されて幸せ一杯というのが理想ですが、私と妻は駆け落ち同然での同棲生活からの結婚。祝福してくれたのは多くの友人と先輩で、結婚式も手作りでささやかだけど温かいものでした。

 

私は自営業をしている家の跡取りが嫌で東京の大学へ上京したのですが、そこで芸術大学に通う嫁と出会い一目惚れ。実は私も嫁も当時つきあっている相手がいたのですが、お互いに疎遠だったこともあり、映画や食事をする間柄になっていました。

趣味がオートバイに乗ることも同じで、鎌倉や伊豆へ出かけることも増えました。

男と女ですから少なからずそういう行為を誘いましたが妻は頑なに拒みました。

それでも私が結婚を前提にという言葉で体を重ねることを許すのですが、妻にとってはそれは最初で最後の行為にするつもりだったのです。

妻は母子家庭で貧しい幼少時代を送り、高校の授業料もアルバイトをしながら払っていたのです。私の家のことを知り、結婚は無理だと思い込んでいました。

 

最初で最後と思ったセックスの後、妻はずっと泣いていました

私と一緒になれないこと、今まで付き合って遊ばれていた男に軽んじて抱かれていたことなど、泣きながら話してくれました。

私も数人の女性と交際しましたが、なぜか妻のように無性に気になる女性はいませんでした。赤い糸の伝説があるのならこの女性しかいないと思えた相手でした。

まぁ、恋をすれば盲目と言われますが、妻は私をとても癒やしてくれる女性です。

そんな女性を手放すことなんて出来ません。

私は親を捨て妻と駆け落ちをすることを選びました。

 

もちろん、最初から駆け落ちではなく、親に話をして聞いて貰えなければです。

想像の通り「勘当」と、言う言葉を持って駆け落ちを実行します。

セックスレスの理由

セックスレスになった理由はいろいろだと思います。

妻とは交際から25年以上経過しています。
親と一緒に生活していた時間よりも妻と暮らす時間は長いわけです。

一緒に暮らすまではお互いに知りたいことが多くて、新鮮なことがたくさんありましたが、何年も一緒に暮らせば知り尽くしてしまいます。
まして一番知りたい異性の身体の全てさえ、知りたいと思えば知ることが出来てしまいます。
興味が薄れてしまえばマンネリ化は必須。

もう一つは結婚することで交際している頃とは違い、いつでもセックスが出来る安心感も芽生えます。
紙一枚、婚姻という縛りで妻は自分の所有物だという安心感です。

そして、出産による母性本能の芽生え。
妻よりも母親、子育て中心の生活にシフトすることでセックスが遠ざかること。
一人目より二人目が出来ると躊躇なくセックスレスの期間は長期化します。
また、私の方も妻に対して欲情する頻度が極端に減っていく事実。
お互いがセックスに対して貪欲になり、危機感を感じた頃は妻は拒否するようになった。

「子供もいるし今更セックスする必要性ってないわよね」

私も仕事が順調で、子育てのストレスや妻の不満をちゃんと受け止めなかったもあり、一方的な要求は簡単に却下されてしまいました。

文章で書けば簡潔になりますが、事実はそんなに簡単ではありません。

まずは、交際していた頃からの事実をゆっくりと掘り下げてみようと思います。

こんな歳なのにね

目覚ましが鳴るよりも先に起きてしまう歳になってしまった。

夜更かしするのがかなり苦手になってしまった。

今から一時間もすれば爆睡している自分が見える。

 

歳を取ってしまったと言えばそれまでなのだが、そんな歳になっても肌を合わせてセックスをしたいと思っている。

40歳過ぎればセックスなんて飽き飽きしているだろうと思っていたのに、現実はそんなことは微塵もないのだと実感している。

 

逆に性欲がなくなるということは、若さもそうだけど本当に老化が進んでしまうという恐怖も感じる。

 

愛する人と抱き合うことがなぜ許されないのか。

 

させてくれないのなら、いっそ嫌いだと言ってくれた方がどれだけ楽になれるのか。

 

愛している、好きなんだけれどセックスはしたくない。

 

そんな矛盾に我慢を続けていた日々。

 

今も気を許したらそちら側に戻ってしまう不安。

それがセックスレス

セックスレスになったのはいつだろう

いつからセックスレスになったんだろう。

セックスをハッキリ拒否されるよりも前、そう回数が減り始めた頃からだとずいぶんと前になるのかな。

二人目の出産後から極端に回数は減ったのは事実。

今思い出すと、若いとはいえ妻は三つだけしか歳の違わない、娘と息子を育てながら家事、仕事をしていたのだからセックスどころではなかったのかも知れません。

結婚前と結婚後では生活も一変するし、子供が増えればお互いの時間も削られていく。

子供を寝かしつける頃には、お互いに布団に入り熟睡したい欲求も増していく。

セックスなんていつでも出来るから・・・。

なんて思っていたら、妻はすっかりそういう気持ちを無くしていました。

寝ている妻の体に触れようものなら

 

「やめて、そんな気分じゃないから」

 

じゃあ、数日後に誘ってみると

 

「触らないでよ。したくないって言ってるでしょ!!」

 

なんてキレられるものだから、ついつい遠のいてしまう。

お互い話し合えばなんていうものじゃなかったしね。

お互いにギスギスするからセックスからどんどん遠ざかっていく。

 

よく、妻から母親になると母性本能から、夫とのスキンシップが減るというけれど、そう聞けばそうも感じるけれど本当はどうだったのだろうか。

 

妻から当時のことを聞いても

 

「なんか単純にしたいとは思わなかったのよね。」

 

なのだと。

今だから妻とそんな話ができるけれど、当時は話なんかできる状態ではなかったし、喧嘩が激しくなれば夜中でも家を飛び出して行った妻。

あの頃のことを思い出すと、今でもとても憂鬱になります。