桃栗三年柿八年

夫婦のこと書いています

妻は家族ではない永遠の恋人

今日は久しぶりの休日。

外は空は蒼く夏のように暑いけれど、こういう日はドライブに出かけたくなるのが私。

でも、インドア派の妻は、まどを開けてのんびりと読書かネットサーフィン(すでに死語)するだろうな。

夫婦って意外に思っていることが一緒の方向に向くって少ないかも知れません。

 

過去のことは少しさておき、夫婦のことについて書いてみます。

 

結婚前後は昔の考え方かも知れませんが、妻は私の所有物という考えがありました。

婚姻届という紙切れ一枚で国が妻を私の所有物として認めてくれるみたいな感じ。

トント可笑しい考え方ですよね。

でも昭和40年代生まれなら、団塊の世代の親を持ち、戦後を生き抜いた親の姿を背中に見ていると、そういう考えをする同世代って多いと思っています。

逆に女性を中心とした社会に女性の権利を主張する傾向も強くなり、女性の社会進出や中ビ連のようなウーマンリブ団体が目立つようになります。

また、バブル前後に女性は三高(高学歴・高収入・高身長)を結婚相手に求めるようになり、男にとって結婚というハードルが妙に高くなった時代でもあります。

それだけに結婚出来れば相手を手放したくなくなる気持ちは、ある意味では所有物にしてしまうのかも知れません。

 

しかし、所詮は夫婦は他人です。

親、兄弟、自分の血や肉を分けた(男の場合は遺伝子の一部かも)子供とは全く違う家族なのです。

だから、同じ方向に向かなくても当たり前のことなんです。

それを、妻=家族=肉親にしてしまってはいけないのではないかと。

他人であれば夫も妻も平等であり、お互いに権利も主張もあるはず。

収入や社会的地位に差があっても、お互いに尊重していくことが一番大事なことではないのかと。

 

私の中では夫婦喧嘩が大きくなっていくたびに、妻とは離婚するしかないのではないかという思いが少なからずありました。

激しい恋愛をして親と縁を切ってまで一緒になった女性なのに、なんで妻は僕の所有物になってくれないのだろう・・・。

 

きっと、これが一番私の悪かった部分だと思っています。

もちろん他にも少なからず問題はありましたが一番の問題はこれでした。

 

なぜ、このことに気がついたのかと言うと

 

「私が死んでもあなたと一緒の墓には入りたくないからね」

 

と、いう言葉でした。

正直、ここまで言われると精神的に凹みましたね。

妻はきっと私を愛していないのかも。

 

いろんな意味で自分の終末を想像してみて、妻のいない人生を考えることは出来ませんでした。

それから本気で、もう一度妻に愛して貰いたい。

セックスをしたいという思いから、自分なりに茨の道に入る決意をしたのが5年前のことでした。